【46~47冊目】谷崎潤一郎『痴人の愛』&樫原辰郎『「痴人の愛」を歩く』

立て続けに樫原辰郎氏の著書を読むことに。ということで『「痴人の愛」を歩く』を読もうと思ったわけなんだが、そもそもお恥ずかしいことに『痴人の愛』を読んでいない(谷崎は『春琴抄』しか読んでないのだ)。ということで、まずは『痴人の愛』から。

真面目なサラリーマンの男性が若いカフェ―の女給を見初めて引き取るが、これが大変な悪女で大いに振り回される。しかしながら主人公もたいがいなマゾヒストで、喜んで彼女を背中に乗せて馬になったりする、というよく知られるストーリーは概ね間違ってないのだが、有名な本ほど実際に読んでみると印象が違うというのはよくある話だ。

イメージと大きく違ったのはナオミの描写である。妖女・毒婦の代表のように言われる彼女だが、むしろ印象としてはギャルに近い気がする。若いギャルを嫁にもらったら、同世代の男たちと遊び呆けるようになってしまって困った、みたいな流れなのだ。映画やらジャズやら、わりと新しもの好きだったりもする。

それでいうと主人公の譲治も、単に振り回されるM男みたいなイメージだったのだが、意外と冷めた部分もあったりする。この男はとにかく「外国人」へのあこがれが強く、ナオミについても顔立ちやスタイルが外国人風なところが気に入っている。ところが、実際にナオミの英会話の先生である外国人女性と会うと、一気にナオミのことは所詮は日本人、みたいな気持ちになっていってしまう。

最終的にはナオミも堂々たる妖婦になっていくし、譲治は彼女に屈服していくので、大筋ではイメージと同じなのだが、人物像がもうちょっと複雑な感じがした。

というのを踏まえて『「痴人の愛」を歩く』を読み始めると、まずは譲治を「信用できない語り手」として読み解いていくところで膝を打つ。「真面目なサラリーマン」を装いつつ、映画にはやけに詳しいし、けっこうな「悪場所」である当時の浅草にも馴れた様子。実はけっこう遊び人のようなのだ。

ナオミのモデルとなった女性と谷崎の実際の関係、そして後に彼女がインタビューに応えてけっこうあけすけにものを言ってるところなども面白い。

そしてこの著者ならではだと思ったのは、作中に出てくる俳優や映画、そして谷崎自身が制作にかかわった映画の話など。併せて四方田犬彦『署名はカリガリ』なんかも読み返したくなった。

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