父の蔵書より。集英社の世界文学全集からの一冊。父がこの全集をある程度持っているのだが、揃えているわけではないあたりに自分との性格の違いを感じる。ほんとにぼくは父とは似てないんだよな。
さておき、本書では「偉大なギャツビー」(野崎孝訳)ほか、沼沢洽治の「最後の大君」「皐月祭」「富豪青年」「バビロン再訪」が収録されている。

『ギャツビー』はだいぶ昔にやはり野崎訳の集英社文庫で読んだのだが、再読したらおどろくほど全然おぼえてなかった。
つらい過去を抱えた成金が昔好きだった女性に近づこうとするが悲惨な結末を迎える。みたいな概要は覚えてたんだけど、特に終盤で出てくる美文調が印象に残った。
随所で繰り広げられるパーティのシーンについては、『失われた時を求めて』とだいぶ違う。書かれた時期は近いが、プルーストのほうは舞台が第一次世界大戦以前のフランスの貴族社会。フィッツジェラルドは大戦後のアメリカの成金。はっきり言って後者の方がだいぶ民度が低い(端的に言うと酔っ払い方がだらしない)。
そのせいだけでもないんだけど、執筆時期の近さを考えるとプルーストと比べてフィッツジェラルドはだいぶ「通俗」だなとは思った(そこがいいとも言える)。
他の収録作は初読。
「最後の大君」は「ラスト・タイクーン」としても知られる未完の作品。ハリウッドの大物プロデューサーの報われない恋を描く。彼に憧れる女の子の一人称視点と三人称視点を併用。出会いというか互いに一目惚れするシーンの電撃的な感じがよかった。
著者の執筆ノートみたいなのも採録されている。フィッツジェラルドって超メモ魔だったらしい(それを知ってちょっと親近感)
「皐月祭」は「メイデイ」としても知られるもので、第一次世界大戦の帰還兵たちによる暴動という実話をバックに、帰還兵たちのささくれだった風景を描く。
「富豪青年」はタイトルどおり金持ちの息子が主人公なんだが、これまた報われない恋の話。
「バビロン再訪」は自身を反映させたとおぼしき主人公がアルコール依存症から回復して里子に出された娘を取り戻そうとする話。里親である義兄姉夫妻は彼に強い不信感を抱いているのだが、必死になって信頼を回復しかかったところへ昔の悪い友人たちが乱入してきて場をめちゃくちゃにしてしまう。ここ、すごく「ああーっ」って思った。
対照的でライバル関係にあるというイメージの強いヘミングウェイだが、『最後の大君』のノートには彼についてのメモなんかも入っていて、アンビバレントな関係だったのだなというのもうかがえる。
アメリカ文学もいろいろと積んであるからもう少し続けて読もうかな。
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